今年のスキー場開き祭は焼額山。
志賀高原は企業運営ではなく、山を持っている地主や観光協会をはじめ地元の人々の共同体によって運営されている。地元共同体の価値観は、企業の効率や営利目的とは明らかに異なり、正々堂々とした迫力があります。
ミス志賀高原。共同体にはそういう役割も必要で、役割を担っている自覚なのかチャラくない堅実感漂うミス。
儲けや煽りという形で他人を出し抜いたりせず、小手先の演出不要の正々堂々感。
それぞれの人がそれぞれの役割を担っている人間の営みの原点のようなものが体感できる祭。
振る舞い酒。きのこ汁やあんころもち、普通の素材なんだろうけど混ぜモノなしでふんだんに材料を使った芳醇な香りできのこも味噌も小豆も餅も一つ一つがいちいち旨い。
いくらでも手が抜けるものなのに、ブランドを銘打って売っているものより真っ当に感じる。真っ当な味わいを実現する気持ちや想いを感じる。
単純に愉しめばいいだけなんですけど、
山を使わせてくれて有難い、自然の恵みに感謝と思い始めてしまう地元年中行事。
滑るために下支えされていることに気づかされるとてもいいお祭。
少し気になったのが、抽選会での当選者のほとんどが感謝を表現していなかったこと。
片手で賞品を奪い取るような咄嗟の振る舞いに素地が露呈していた。
地元小学生スキークラブの指導者も技術以外の態度に関しては色々と言えない時代になってしまったようである。
なんだか気持ちまでデフレの国になってしまった印象。
主催の与える側との差の開きが大きい、広がる格差を垣間見た。