モノからヒトの理解が深まる愉しさ
スキーをしない人からは「足がいくつあるんだ」とか、所有モデルを知っている人からは「お気に入りを十分に持っているのに、なぜ試乗を続けるのか」や「選び終われば試乗しなくてもいいでしょ」などのご意見を頂く。試乗の目的が「購入モデルの選択」ではないんだと、「試乗自体が愉しい」と説明するが、なかなか理解されない。問いに対して真摯に応えようと説明を試みるが、大抵、聞く耳を持ってくれない。「このサイトについて」の内容の説明が響かない経験を繰り返している。
感じている面白さや愉しみ、続けているモチベーションの源を語る時に、「教養」という単語が一番適切に当てはまるのではないかと思っている。
生きていく上で必須ではないスキーを身につけることや、いろんな板を試して反応を感じるといった、すぐには役に立たないことを続けていると、逆に意味を見出す。教養を得ている過程に似ている。
モノである板を試すと、作り手のヒトがどこを眺めているかの視座を感じる。同時に使い手のヒトの視座も分かる。ヒトの言動(DO)から、そのヒトがどう在りたいか(BE)の概念。
赤ん坊は「無法」です。成長過程で学習して掟やルールを知り「順守」出来るようになります。朝ドラやジブリのストーリーは大抵この領域の認識です。成功して資産家や権力者になると「無法」に落ちる話が多いですね。
「誠実」な個人は居ますが、「誠実」な組織はなかなか在りませんね。組織は「順守」を維持するだけでも大変な認識です。お金を支払い客になる行為は「順守」です。客でもないのに客扱いを求めるのは「無法」な行為ですよね。
普段の生活では「無法」や「順守」な付き合いが避けられません。なので、スキーやブログぐらいは「誠実」な世界観を望んでいます♪
「無法」から「順守」に必要な要素は、規律を守るスキル。
I want to do a things right. 決められたことを正しく行います。帰納的な「順守」
「順守」から「誠実」に必要な要素は、意味を問うセンス。
I want to do a right thing. 正しいことを行います。演繹的な「誠実」
「誠実」から「成熟」に必要な要素は、教養だと考えています。自由になるためのリベラルアーツ。
試乗を続けることが教養を得るなんて、回りくどい言い訳でした…。でも、真実ですよ。